取付ブログ
続・お客様の質問にお答えしてる第45話
2026-03-30
不定期シリーズの『続・お客様の質問にお答えして』の第45回目の書き込みです。
その月その月で店頭で聞かれたお話を掲載しておりますので、
内容に過去に重複した部分がありましたらご了承下さい。
今回は比較的最近お客様になられた方からのご質問で、
「社長さんは師匠みたいな方はおられたのですか?」という事をよく聞かれる事があります。
今の自分を形成しているのは色々な業種で10人以上の優れた方の習慣を身に付けて、
今のサウンドピュアディオのビジネスが成り立っています。
自分が放送業界に関わる様になったのも
高校生の時にアマチュア無線で知り合った放送局にお勤めの2名の方の影響があって、
スタジオの良い音や放送で喋る事などに強く影響を受けた事は、
今のサウンドピュアディオの礎となっています。
自分がこの道に進む最初のきっかけは小学6年生の時にアマチュア無線の技術講習会に参加して、
当時の日本アマチュア無線連盟の山口支部長だった方から、
「F=2πルートLC分の1は電気・電波・オーディオなどの全ての分野において必要な公式で、
これは先々役立つから絶対に覚えていて下さい!」という言葉でした。
実際にこの公式は今の自分の仕事で毎日使っていて、
これを基にして他の公式が必要になるので、自分は今でも少学6年生の時のこの言葉を忘れていません。
後にこのアマチュア無線の支部長さんにもう一度お会いした時に、
19歳の時に高校を卒業して入った工場を辞めようと思っていた時にもう一度お会いして、
その時はオーディオの修理を自宅でされていて、
ホームオーディオやカーオーディオの中が焼けたアンプが沢山修理に入っていました。
その時に「井川さんこれを見て下さい。インピーダンスが分からない人が
オーディオを販売するからこんなに焼けたアンプがあって。
井川さんみたいにきちんと勉強されて技術がきちんと分かる方がオーディオ販売したら、
お客さんのためになるのにね。」と言われた言葉が今でも頭の中に残っています。
当時自分が持っていた国家資格はかなり難しい勉強をしないと取れないレベルで、
高校時代は必死になって勉強して、広島まで試験を受けに行っていて、その方は事をご存知で、
アマチュア無線連盟の山口支部のコンテストで優勝した年でもありました。
その方の「これをしたら儲かる。」ではなく、「お客さんのためになるのにね。」という言葉を聞いて、
それからオーディオの道に舵を切ったので、
その方は小学校の時と19歳の時に将来に不安を持った時の2回も大きな良い影響を与えて頂きました。
自分は20歳の時にはカーオーディオの取付を下請けで行う自営業を始めて、
2年間は人が選んだシステムを丁寧に取り付けるという仕事をしていましたが、
「自分だったらこの組み合わせでなく。もっと違う組み合わせでコストを下げて良い音が出せるのに。」と
下請け仕事に不満が出て来て、自分がシステムを選んで販売して取り付けるというカーオーディオ専門店を
22歳の時にオープンさせました。
ただカーオーディオ専門店よりはタイヤ・ホイルを扱って
トータルで車をいじれるお店の方が集客が出来るために徐々にカーオーディオ専門店というだけで
お客さんが集まって来ると安心出来る状態では無くなった時に、
東京のカーオーディオ専門店の社長さんに出会って人生が変わりました。
その方はナカミチのショップの中でも特別な存在で、
中道悦郎さんから「今度うちでカーオーディオを作るから一緒に取付技術を開発しないか。」と
誘われたそうで、業界の中で自分が最も尊敬していた方で、近づきにくい存在という感じでした。
そのM社長から自分が30歳の時にナカミチのミーティングで東京に行っている時に、
仲の良かった関西の31歳の社長と二人でいた時に声がかかって、
「僕の車の音を聴いてみないかね?」と言われて2人でBMW5シリーズの音を聴かせて頂きました。
何曲か聴いた後に「どうかね?」とM社長から聞かれて、
自分は「聴いた事ない良い音です。自分もこんな音を出してみたいです。」と答えて、
もう一人の31歳の社長は「これは良い音かも知れないが、自分は自分で独自の良い音を作りたい。」と
言われました。
おそらく業界内のほとんどの人は「自分は自分の音を追求したい。」と言うはずですが、
自分は優れた人の技術や習慣は取り入れたいという習慣が身に付いていたので、
その日からはそのBMW5シリーズの音が頭の中をグルグル回る様になって、
とにかくあの音を自分の車で表現したいし、お客様のお車の中でも表現したいと思いました。
そしてそれから半年後にもう一度東京でM社長にお会いする機会があった時に、
「M社長、実は自分の息子に尊敬するM社長のお名前を勝手に付けてしまいました。
了承を受けずに付けてしまってすみません。」と謝ったら、
「いや、自分みたいな小物の名前を付けたら息子さんは大物になれないよ。」と笑われていました。
それがきっかけでM社長とは親しくさせて頂いて、
山口の田舎ではなかなか情報が入らない中、優れた音の出し方を学ぶ事が出来ました。
しかしそれから5年ぐらいが経った頃、
M社長から「この業界は一部のメーカーと評論家と雑誌社が結託して、
いくら良い音を出しても良いとは評価されない。
自分は業界を引退するから井川君も何か他の道を選んだ方がいい。」と言われて、
それからお店を親戚の方に譲って業界を引退されました。
自分はいきなり尊敬する師匠がいなくなりどうして良いか分かりませんでしたが、
やっとカーオーディオで何十分にやって行ける様になったばかりなのに、
路頭に迷うとまでは行きませんでしたが、
これまではM社長が考案したやり方をそのまま変えずに施工したら良かったのが、
何だかの方法を自分で考えないといけなくなりました。
M社長の言われる通りその後は一部のメーカーと評論家と雑誌社の結託に泣かされて、
これだけ努力しているのに全く評価されないというつらい時期が続いて、
それだけならまだしもセミプロ用的な音が出るスピーカーもどんどん無くなってきて、
大変困った状態になって来ました。
でも「井川君も他の道を選んだ方がいい。」というM社長の教えに背いてやっているのだから、
辛くて当たり前と自分に言い聞かせて、
何とか生産中止になるセミプロ的なスピーカーを買いだめして何とかしのいでいました。
それがよいよ在庫が尽きて来た時に考えたのが、
「セミプロ的な製品が無いのなら、OEM生産でそれを作ればいいんだ!」という事に気が付いて、
2001年にサウンドピュアディオのブランドを誕生させて、
消えて行くセミプロ用の製品をこれまで以上にブラッシュアップして発売する事になりました。
今年の6月がピュアディオブランドの製品が誕生してから四半世紀の25年になって、
ピュアディオブランド誕生までの20年ちょっとを、かなりダイジェストで書き込ませて頂きました。
