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取付ブログ

今のサウンドピュアディオが出来るまでの40年史+12

2022-10-28
今回複数のお客様のご要望と、自分もカーオーディオ専門店を開店させてから40年が経過した今、
いちど過去の出来事を数年ごとにまとめた長編作を書きたいという思いもあって、
『今のサウンドピュアディオが出来るまでの40年史+12』を書き始める事にしました。



その第1回目は自分がオーディオの音や電子工作に目覚めた年から数年の事を書き込みたいと思います。



過去のブログで同じ様な内容を読まれた方は重複した部分が多々ありますが、何卒ご容赦下さい。



自分が生まれた家は山口県の美祢市の山奥にあり、
子供の頃も今も自動販売機を置いている場所がないぐらいの田舎に育ちました。



小学校は子供の足で歩いて15分ぐらいの所にありましたが、
1年生と2年生、3年生と4年生が一人の先生が行うという複式事業で、
こういう学校は勉強についていけない劣等生と、、やたら勉強が出来る秀才とに分かれてしまい、
自分が小学生の時にこの里から東大に合格した人がいて、
同級生の親は自分の子供も東大か京大に入れたいと予習に念が無くて、
自分はあっという間に勉強に付いて行けなくなりました。



先日生まれ育った家の庭に立って、右を見たら山の向こうには宇部市楠木町万倉があり・・



正面の高い山の向こうは宇部市楠木町木部で・・



左方向は美祢市秋芳町ですが、どこへも真っ直ぐ行けば近いのですが、
山を避けて遠回りしないと行けないので、意外と時間がかかります。



子供の頃は山歩きしたり、家で本を読んだりという遊び方で、
井川家は祖父の代までは林業で何十年に一度の収入を得ていて、
日ごろの生活は農業の収入で食べて行っていて、
父の代からはサラリーマンをしながら林業と農業をしていたので、父親は休む暇なく働いていました。



そんな父親が山仕事に行くのにトランジスタラジオを持って行っていて、
ある日父が置いて行ったトランジスタラジオのスイッチを入れたら、
そこから音楽が聞こえて来てビックリしました。



ダイヤルを回して行ったらニュースや英語講座や番組が変わって行って、
これが小学4年生の時にオーディオらしき物に出会った瞬間でした。



それから毎日ベストテン番組の日々の集計を聞いて、
週末になると総合のベスト10とかベスト50をやっている番組があって、
AM放送でしたが毎日何だかの番組で音楽を聴いていました。



漢字で書くと聞くから聴くという風に聴き方が変わって来て、
もっと良い音で音楽を聴きたいと思う様になりました。



そして間もなくラジオが鳴っている仕組みが知りたくなって、
学研のマイキットというボードのにターミナルやラグ板が付いていて、
そこに部品のはめ替えを行う事で何種類かの回路を組む事の出来る実験セットを買ってもらって
電子回路の基礎を学びました。



そのキットの中でも最も難しいのがAMラジオで、
田舎の山の中ではトランジスタが1個2個のラジオでは上手く受信出来ず、
6個ぐらいのトランジスタを組み合わせたラジオでないと音楽がきちんと聴けない事が分かりました。



ただトランジスタの個数以上に市販のラジオに比べたら感度が悪い組み立てラジオでは、
アンテナが重要になって来て、銅線をグルグル巻いてコイルにして、
波長が長い中波のラジオの感度を上げようと我流でコイルを巻いていました。



たまたま父親が勤めていた石灰石加工会社では、自社で採石場を持っていて、
ダイナマイトを爆発させて石灰石を砕いた後の銅の細いリード線がやたらと余っていて、
現場から拾って帰ってくれていたので、巻く同線には不自由していなくて、
出来が悪くても好きなだけ次のコイルが巻けていたので、暇があれがグルグルとコイルを巻いていて、
学校で鉄に銅線を巻いて電磁石を作る実験では、
自分の巻いたコイルはやたらと釘を引き付ける力が強かったのを思い出しました。



そんなAMラジオを聞くだけでは気が済まず、
組み立てラジオを作ったりアンテナ用のコイルを巻いていた井川少年は、
世の中にFMラジオがあるという事を知って、更にカセットテープという物があって、
ラジオで決まった時間に何がかかるか待って聴いていた音楽が、
一度録音したら何度も聴けるというのを町の家電屋さんに行って知って、
小学5年生の誕生日にはこれが欲しいと親におねだりました。



そのラジオカセットはソニーのCF-1500で、
FM・AMラジオの他にカセットテープレコーダーとFMワイヤレス機能が付いていて、
自分の声をマイクで電波で飛ばしたり、カセットで録音した音を他のFMラジオに飛ばすという事が出来て、
近くの同級生もナショナル(今のパナソニック)製のラジカセを買ってもらって、
FMのワイヤレス遊びというのを始めました。




ただこのワイヤレス機能が100メートル以内という飛距離が半分の50メートルも飛ばず、
ロッドアンテナの先に銅線を継ぎ足して長くしたら何だか飛びが良くなった様な気がして、
でも当時は波長計算などという概念もなくて、ただ長くしてもその割に飛距離が伸びず、
半分FMのワイヤレス遊びも飽き気味になっていました。



ところがある日ラジカセからかすかにFMラジオで音楽が連続して流れている周波数があって、
誰がワイヤレスで音楽を流しているのだろうと、歩いて楠町の手前まで続いている道を歩き始めて、
この上の方の集落に高校生か大学生がいて、趣味の音楽をワイヤレス送信しているのだろうという予測で
歩き始めて、確かに歩いて上の方に上がるけれども電波は強くなっても発信場所には着かずに、
とうとう人気のない車が通れない狭い山道に入りました。



ずっと音楽が流れていたそのFMの電波は、
北九州市の皿倉山から出ているFM福岡が開局する前の試験放送の電波で、たまに試験電波と言っていて、
数日後には本放送となって、毎日AMラジオでは聴く事の出来ない音質の高さで音楽を聴かせてくれました。



当時は美祢市でも皿倉山の電波が届かない地域が多く、
もし自分がその地域に住んでいたら今のオーディオの仕事をしていたかどうか分からず、
そのFM福岡の電波が届く場所に住んでいた事がその後の人生に大きく影響しました。



更にその1年後の1972年には自分の住んでいた山の中の複式授業の小学校が廃校となって、
バスに乗って遠くの大きな小学校に通う事になりました。



どちらにしても中学生になったら大きな4つの小学校から生徒が集まる学校に行かないと
いけなかったのですが、小学校の最後の1年だけ4つの小学校が統合した新校舎で勉強して、
同級生の数は一気に20倍になりました。



その新しい小学校の理科の先生が車に144メガのアマチュア無線機
(当時は145メガではなくて1メガ低かった)が付いていて、
これは何だ?とよく車内をのぞき込んでいて、
先生に「井川君は無線機に興味があるかね?」と聞かれて「はい!」と答えました。



当時はFM福岡をいかにノイズレスで綺麗に聴くかにこだわっていて、
波長計算も分からずにあてづっぽでロッドアンテナの先に銅線を繋いで伸ばして、
「この長さが良かった。」とか、「この方向に曲げたら良かった。」とかの実験を
やたらめったら我流でしていて、「この知識を手に入れたら我流から足が洗える!」という興味本位で
その先生の話に耳を傾けました。



それが小学6年生の1学期で、1学期が終わる前に先生から
「萩市でアマチュア無線の講習会があるから行ってみないか?」と誘われて、
6年生になって知り合ったFMのワイヤレス遊びを一緒にしていた友達と受けに行く事にしました。



同級生は親戚の家で従弟がいる家に泊まって、自分は萩市に近い親戚がおらず、
母方の祖父の従弟の家があるという事で、全く合った事の無い遠い親戚の家に泊まって、
1週間か10日ぐらいだったか遠洋漁業に出る船の無線技士を育てる
通称『電波学校』と呼ばれていた場所に歩いて通いました。



今考えたら小学生でよくこんな難しい事が憶えられたと思うのですが、若いと頭が柔らかいので、
教える方が良かったというのもあって、難しい電子工学がスイスイと頭の中に入りました。



最終日に修了試験があって、現在のアマチュア無線の4級は四者択一式の試験だったのが、
当時は筆記式の四角の中に答えを書き込む方式で、後に試験方法が変わって4級の合格者が一気に増えて、
中学になって試験に受かった友達からは、「井川は難しい試験で受かって損したな。」と言われましたが、
後にその難しかった時期に合格した事が後の知識としての財産になって、
1年半から行っている社員教育に4級の教科書を使うと、
自分が小学6年生の時に出ていた内容が省かれていて、
3級の方に回されているので、今考えたら3級相当の勉強をしていたと思います。



当時一緒に講習を受けた同級生は従弟がいる家だったので一緒に遊んで復習する時間が無かったのか、
自分は知らない大人しかいない家で延々勉強していたというのもあって、自分は合格して友達は落ちました。



ただそれで自分は調子に乗って学校の勉強をせず、
成績が下がって無線を勧めた先生から父親に「無線機を買ってはいけない!」と言われて、
実際に無線で電波を出して実験を行う事がしばらく出来ませんでした。



今が考えたら事が人生の初めての大きな挫折で、『勝って兜のお尾を閉めよ!』ということわざの意味を
小学6年生で知る事になり、それ以上に自分の事で父親が呼び出されて叱られた事にショックを受けました。



今考えたらこの事も人生の需要な経験で、小学6年生で絶頂とドツボを数か月で経験する事になり、
物事が上手く行った時に油断しないという習慣が身に付いた出来事でもありました。



今回は1970年から72年までの事を書き込みましたが、
この時点ではカーオーディオの道に進む事は全く見えて来ていないのですが、
実は高校を卒業した後に電波学校の講師の方に会った事があり、
それがカーオーディオの道に進むきっかけになっているので、
このシリーズを末永く見守って頂けるとありがたいです。



朝のブログで1回が4年から6年ぐらいと書き込んでいましたが、
今日は2年しか進まなかった『今のサウンドピュアディオが出来るまでの40年史+12』ですが、
プラス12のうちの2の部分をお届け致しました。



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