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取付ブログ

今のサウンドピュアディオが出来るまでの40年史+12 

2022-11-25
このサウンドピュアディオが出来るまでの40年史を書くにあたって、
お客様の質問にお答えしての31話で1回あたり4・5・6年ぐらいで進行する様な事を告知していましたが、
実際に始めてみたら2年ぐらいの進み方なので、予定の半分以下のペースで進んでいると言っていい状態です。



それでもある程度端折っていますから、全てを書き込んでいたらとんでも無い事になります。



前回で高校を卒業して地元の石灰石加工工場で働いた時代まで進んだので、
今回は自分が初めて販売業という仕事に就いた時代のお話をお送ります。



前回の時代の話で重要な部分を書き忘れていたので書き足すと、
石灰石加工工場に勤めていた時は車で通勤していて、車はスバルレオーネの4WDで、
今で言うところのXVに当たる乗用車テイストの4WD車で、
少しのオフロードなら走れるというジャンルの車で、当時は乗用タイプの4WD車はスバルしかなく、
無線機を積んで道の悪い山道を走るためにこの車を選んでいました。



ただその車に付いていたのはAMラジオだけで、AMの音でサザンオールスターズのいとしのエリーや、
ジュディー・オングさんの魅せられてを聴いていて、
これではいけないとカーショップでカーオーディオを買う事にしました。



ディスプレイであれこれと聴き比べをしていて、どれを聴いても魅力的なデッキは存在せずに、
最後の方で聴いたのはパイオニアのセパレートタイプのカーコンポと呼ばれていた時代の
FMとテレビチューナーにボリュームとトーンコントロールが付いている物で、
アンプレスの商品なのでアンプとスピーカーを別に買ってレオーネに取り付けてもらいました。



ただ当時は民放FMが山口県には無くて、民法は北九州市皿倉山のFM福岡の電波を聞くか、
地元の中継局から強い電波で聞けるNHK-FMを聞くかのどちらかで、
16時に会社が終わってからNHKのFMを聴きながら運転していました。



そんなある日少し残業して帰っていたら、いつもは退屈な音楽が流れていたFMチューナーから、
アース・ウインド&ファイアーのノリの良い音楽が流れて来ました。



「これは何だ!」と衝撃を受けて、約1時間の特集を家から遠回りをして全て聴いてから帰りました。



それが何となく音楽が好きから、車で移動して窓の景色が変わりながら聴く音楽の素晴らしさを知って、
「もっと音を良くしたい!」というきっかけになりました。



当時はよく「無人島に一人で行くとして、1枚だけ何かレコードを持って行けるとしたら、
何を持って行きますか?」という質問がラジオ番組や雑誌であった様な気がして、
当時の自分は間違いなくアース・ウインド&ファイアーのベストと答えたでしょう。



そんなFMチューナーとアンプとスピーカーで音楽を聴きながら通勤していた会社員生活を、
たった半年で石灰石加工工場を辞めた自分は、次に何か仕事を探さないといけないと就職活動を始めて、
そうはいっても高校を卒業しても新入社員でもなかなか就職出来ない時代で、
自分の同級生でH電器を受験して落ちた人は町の家電屋で働いていて、
自分もそうなるのかな?と思っていたら、意外と自分の噂を聞きつけた家電屋さんから声がかかって、
中には子供がいなくて後継者がいないから継いで欲しいという話もあって、
親からは「せっかくいい話をもらったのだから〇〇さんのお店を継いだらどうか。」と言われていました。



ただ何となく町の電気屋さんというのも夢が無いし、
個人の電気屋さんの中でもレコード屋さんもやっている所があって、
音楽好きの自分としてはそこが魅力的に見えて最有力候補になっていました。



しかし宇部市にもっと魅力的なお店があって、そこは個人経営の大型家電店ながら
大手チェーンが扱っていないジャンルの商品も扱っているという不思議なお店で、
その中にカーオーディオとアマチュア無線機も扱っていたという、
自分としては「もうここしかないだろう!」と、美祢市から宇部市に面接に行きました。



工業高校の電気科で成績は優秀な方で、
当時はかなりの難問の2級アマチュア無線技士の資格を持っていて、即採用となったのですが、
美祢市から毎日通う訳には行かないので、宇部市内に単身用の部屋を借りて住む事になりました。



働き始めてからは所属の店舗があるものの、
一番後輩という事もあり色々な部署を転々とさせられて、ほぼ配達や工事の助手という役わりで、
自分はかなり不満を持っていたのですが、それが後に電気関係の広い範囲の事を薄くだが知っているという、
自営業を始めた時にはかなりの武器になりました。



ただ自分はまだ19歳の若造で、不満ばかりを言っていて悪い社員だと思いますが、
若い時の苦労は買ってでもしろという言葉を実感したのは30歳を越えた後でした。



その総合家電店で足を引っ張っていたのは自分が大好きだったカーオーディオとアマチュア無線機で、
会社としてはとりあえずはやっているが、儲からないのでいつ辞めてもいいというポジションの商品で、
カーオーディオは取付が複雑で足を引っ張っているという現状がありました。



その会社では車への取付は大きな電装店が行っていて、
お客様の要望を店のオーディオ担当が聞いて、それを電装店の営業が聞いて車を預かって帰って、
更に取り付けるのは電装店の別な担当者と完全な伝言ゲームみたいになっていて、
お客様の要望が電装店のピットに伝わっておらず、しょっちゅう揉めていて、
お客様から「こんな所に穴を開けていいなんて誰も言っていない!」と、かなり怒られていた事もありました。



もう一つの自分の好きなジャンルのアマチュア無線は、
そこのお店が山口県では老舗だったのですが、アマチュア無線が流行気味になって来たら
お店がドンドン増えて来て、当時一番人気のあった無線機の専業店は、
かなりディスカウンターでたむろさせてお客さんの人気を取るというタイプのお店で、
先々その店は薄利とたむろ体質がたたって閉店する事になったのですが、
元々利益の薄い無線機をディスカウント安く売ると、
きちんと店舗を構えて経費がかかっているお店では採算が合わないからと、
もう売れなくてもいいというジャンルの商品になっていました。



この時期のアマチュア無線機は後のカーオーディオの販売で行われた、
長く話してお客さんと友達になって買ってもらうという手法で、
サラリーマンだと1・2時間の話でも長いと会社から言われるのが、3時間4時間が当たり前になって、
これが広がって業界全体がだめになって、ピークで宇部小野田地区で5店あった無線機を扱っている店は、
最終的に1店になって、その後1店増えて2店になって、現在は1店しかありません。



自分はそんな無線機業界の栄枯盛衰を知っているので、
「こういう事をしていたらカーオーディオ業界はこうなる!」と常に警告を発していたつもりですが、
結局カーオーディオ業界も少し遅れて無線機業界と同じ道を歩みました。



そんなことが2つめの会社であって、
無線機もカーオーディオも売れなくていいという様な方針に会社が行っていて、
何だか普通の家電屋の配達・設置で自分の人生が終わるのかと半分諦めていたある日、
自分がカーオーディオの道に進むきっかけが出来ました。



それはそれまでカーオーディオはパイオニア絶対的に強くて、
それをクラリオンと富士通テンとパナソニックが追っていて、
サンヨーは低価格路線で行っていたのが、カーオーディオ専門の雑誌が出来て、
これまで無かったケンウッド・アルパインという新しいブランドが出て来て、
それまでのメインの販売ルートだったカー用品店がメーカーとのリベート契約の関係であまり力が入れられず、
個人のお店でもこのジャンルを扱えば若いユーザーを取り込んで商売になるのではないかという事に
気が付きました。



ちょうどその頃に全国的にカーオーディオ専門店の前の『カーコンポ専門店』というジャンルが
確立されて来て、後に東京に出来た『アルピット』はオープン当初はアルパイン専門のピットだから
アルピットと名乗ったと言われていて、田舎でもアルパインとケンウッドを専門に扱えば商売になると思い、
会社を辞める時に「カーオーディオの仕事をします。」と社長に言ったら、「それはいい。」と言われて、
当時は商品を仕入れて店頭に並べるお金も無かったので、
集客が出来て販売は出来るが取付が出来ない販売店から仕事をもらって取付を行うという方法で、
資本が無くても道具と体があれば稼げるという自営業を始めました。



その時で20歳で、トータルでサラリーマンを1年半しかしていない状態で自営業となって、
給料をもらって生活するというスタイルからお別れしました。



話しは最初の方に戻りますが、自分がカーオーディオの仕事を始めて気が付いたのが、
レオーネを買った時にカー用品店であれこれとデッキを聴いて魅力的に思えず、
結局FM・TVチューナーにボリュームが付いているアンプレスの物を買ったのは、
当時のカセットデッキがテープの回転数を分からない程度に上げていて、
音を上ずらして高音が伸びている様に聴こえさせていたのを、
それを不自然だと感じてそんなデッキが欲しくなかったのだと気付きました。



自分はアマチュア無線の上級試験のためにモールス信号の早打ち・早聞きの練習をかなり行っていて、
それでピッチに対する感覚が楽器をしていない割には優れていて、
そのリズム感が後にディスコミュージックの曲間と曲間を繋ぐノンストップミックスの名人になれるとは、
全く意識していませんでしたが、ピッチのおかしいデッキを無意識のうちに見抜いて、
『回転数を誤魔化していないカーオーディオを扱う専門店』という方向に進出したのはこの頃です。



ただこの頃に回転数を微妙に早くして音を誤魔化していたメーカーは、
後にCD時代になって回転数が変えられないものの、
また別な手法でユーザーに音が良くなったと錯覚させる手法を編み出して、
カーオーディオ時代のスタートは、音を真っ当に再生する少数のグループと、
音を誤魔化しても衝動買させて業界の主流を握るグループに分かれた、
ちょうどカーオーディオ元年と言っていい年だったと思います。



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