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取付ブログ

今のサウンドピュアディオが出来るまでの40年史+12 第6話 1980年から82年

2022-12-02
10月の後半に始まったサウンドピュアディオの歴史を語るシリーズは、当初は年数で表示していましたが、
過去に遡って第何回か書き加えて行ったら、今回で6話目になっていました。

ただ5回まででまだカーオーディオ専門店の開店まで行っておらず、
今回は1980年に2つ目の会社を辞めて自営業を始めた時のお話です。



時代はカーステレオからカーコンポへ移っていて、
徐々に車にオーディオを後からショップで付けるという習慣が出来た頃、
前の会社では手がかかり過ぎてお荷物になっていた、カーオーディオと無線を独立して扱う事になって、
宇部市の西本町に店舗というよりも事務所を構える様になりました。

ただこの時はピットが無く、更に駐車場もなく路上駐車という、
現在のアマチュア無線屋さんである様なパターンで、とにかく経費を抑える事しか考えていませんでした。



そうは言ってもなかなか仕事が無くて、仕事があれば何でもやるという考えで、
それまで乗っていたレオーネ4WDを手放して、ダイハツのハイゼットのバンの中古車を買って、
それに道具を1式積んで出張作業に出かけていました。

主な取引先はカーコンポの販売が出来ても取付が出来ないタイヤ屋さんや中古車屋さんに出向いて行って
取付だけを行って、たまに無線のアンテナの取付を出張して行っていました。



ある日建設会社の業務用の無線の固定局用のアンテナを取り付ける仕事があって、
取付を行うのは宇部市でも有名なプロ用の無線関係を専門に扱う通信社で、
自分はその助手として仕事をしていました。

この時まだ自分の仕事は素人に毛が生えたぐらいの内容で、
その会社の屋根の上で元受け会社の社長からあれが悪い、これが悪いと随分叱られました。

ただ自分の仕事の仕方が悪かったのは間違いなく、
まずケーブルをポールに巻き付ける巻き方が悪いと叱られて、
次にニッパーが刃こぼれ気味の物を使うのが悪いと言われて、その社長の予備の工具で仕事をさせて頂いて、
「君がいい加減な仕事をしても、ここにアンテナが立ったら〇〇通信社の仕事になる。
今日はうちの基準で仕事をしてもらう!」と厳しい指導を受けて、
自分の心構えの甘いところがあったのは事実で、この屋根の上で受けた指導が後に何十年も仕事の基礎になり、
それが豊かな生活の基本になるとは思ってもいませんでした。

ただその日以降、工具に対する考えは変わって、刃こぼれしかけている工具は使わない、
刃こぼれするという事はその前にその用途にピッタリ合ったサイズを使っていないからで、
合わないサイズ⇒刃こぼれ⇒切り口にムラが出る=テープの剥がれに繋がるとなり、
もし何の指導もないまま作業を続けていたら将来的にパールに縛ったテープが剥がれていたのが、
それから数十年経ってその場所を見に行ったら、
何度も台風が通ったにもかかわらずきちんとアンテナは立っており、
自分が縛ったケーブルもテープの剥がれも見えませんでした。

これはその時のやっつけ仕事ではなく、この先何年後も安定した状態で使える仕事を習った事で、
その後の人生は良い方向に進んだ瞬間でした。

ちなみにこの話をかなりの数の従業員にしましたが、これが出来るのは新卒で入った社員だけで、
一度他の会社で適当な仕事を覚えて来た人間は、何度言ってもやり方を変える事が出来ず、
結局失敗を繰り返して会社にいられなくなるのに、それでも一度身に付いた悪い習慣は変えられないという、
人間の習慣の怖さを感じています。



これより先の話で、カーオーディオ専門店をオープンさせて20年後にある程度の社員の数になった時に、
取付作業でプラスチックの部品を破損した時の原因を探ると、適正な工具を探すのが面倒だから、
とりあえず合わない工具を当ててみたというのが7割ぐらいあり、他は力の入れ方を間違ったなどで、
この適正工具を探すのが面倒というのが、先々もっと面倒な事になるのに、
量販店でやっつけ仕事を覚えた人はいくら言っても治らないので、
現在は量販店出身者は雇わない様にしています。



そんな恩師の通信社の社長さんと出会えたのはアマチュア無線を通じてで、
他には自分が自営業を始めた時に無線の友達のお父さんが卸売業をされていて、
自分の息子の友達が20歳で自営業を始めたという事で心配して、
自分の卸売業の経験からダメになる店のパターンを教えてもらって、
まず家賃は高くても安くてもダメで、もし小売りをするなら家賃が安くて立地が悪いと
お客さんを呼ぶのに宣伝費などの経費が掛かり過ぎて、
逆に立地が良過ぎると集客には困らないけれど、その家賃の高さが収益性を圧迫してしまうので、
家賃はこの業種だとどのぐらいが適正かはよく考えないといけないという事を教えてもらいました。

もう一つは銀行取引が絶対という事で、銀行の信用が無いと商売を大きくする事が出来なくて、
技術も大事だがそれと同じかそれ以上に銀行取引は大事と教えられて、
「約束手形を切るとクセになって脇が甘くなるから、絶対に切ってはいけない!」とも言われて、
当時はその意味は分からなかったのですが、
相手から商品を多く引き取らそうとして手形を切ってくれと言われても絶対に切らない様にしていました。



今考えたら自分は成功者の人の言葉をきちんと聞くという習慣があって、
人生の分岐点に立った時に良い人に出会っていて、
その人の言葉を後々忘れなかった事が長く商売を続けて来れた根底だと、
今こうして40年史+12年を振り返って思っています。



そんなカーオーディオの取付の仕事と無線の仕事が混ざった、
何んとも中途半端な便利屋さんみたいな仕事をしていた自分がある日転機が訪れました。

それは色んな場所に出張していて取付をしていて、
自分のハイゼットに会社名を大きく入れていたら、当時はまだネットとか無かった時代なので
口コミが主流で、「あの取付している兄ちゃんの事務所は西本町地にあるから、
あそこに直接行ったら安く出来るかもしれない。」という話になって、
直接訪ねて来る若者が増えて来て、自分の工賃に倍ぐらい乗せる店も多かったのと、
システム選びもとにかく高い物を付けておけみたいな、価格と出て来る音のバランスも悪くて、
「自分が商品選びからしていたらもっとコストパフォーマンスが良いのに。」と
不満に思っている事もありました。



それから徐々に宇部市の西本町の裏通りに週末になると若者の車が集まって来て、
互いの車を聴き合うみたいなコミニュケーションが出来て、
そこに目を付けた人がその通りにディスコの建築を始めました。

ただそんなコストをかけていないのに繁盛するなどという事は長く続かず、
もちろん駐車場が無いので全て路上駐車で、それが原因で2回も交通事故が起こってしまい、
もう西本町で商売する事が出来なくなりました。



そして場所を面積当たりの家賃が高い西本町を去って、
まだ当時は家賃が安くて比較的広い場所が借りられた宇部市厚南区に引っ越す事になりました。



それが『カーオーディオ専門店・オーディオボックス』で、1982年の10月10日に
オープンする事になりました。



ちなみに西本町の事務所はこの建物の1階の半分でした。



後に引っ越した宇部市厚南区は当時の建物は建て替えられていて、現在は美容院が建っています。



このシリーズも6回目の終わりに頃になってやっとカーオーディオ専門店のオープンになって、
ここまで来るのにかなり長かったの振り返っています。


ちなみに西本町の自分の事務所があった辺りに出来たディスコは、その後若者が集まらなくなって、
数か月で閉店してしまったそうです。

たしかここがディスコだったか、まだ向こうの空き地がそうだったか・・



工事の時はもう引っ越しの真っ最中だったので、良く分かりませんでした。



ここまでを振り返ってみて、自分の人生を良い方向に導いて下さった電波学校の講師の先生と、
通信社の社長さんと、無線の友達のお父さんの卸売業の方と、
もし自分がアマチュア無線をしていなければこの方々との出会いは無くて、この史記を書き込みながら、
人の繋がりのありがたさを強く感じているところです。



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