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取付ブログ

今のサウンドピュアディオが出来るまでの40年史+12 第14話 1998年から2001年

2023-03-02
サウンドピュアディオの40年史と自分の小中高の電子的な実験の事を書いたこのシリーズは、
1982年に山口県宇部市の中野開作に小さな店にオーディオ機器が詰まっているという意味で
『オーディオボックス』という名前にしましたが、この名前にはもう1つ理由がありました。



(1982年に開業したのはこの場所ですが、建物は当時とは建て替わっています)



それはアメリカに『AUDIO VOX』という会社があって、
アメリカではカーオーディオ用のスピーカーを販売していましたが、日本には輸入されていなかったので、
この名前がいいとVをBに変えて、それで『AUDIO BOX』にしたので、
オープンさせてから18年はこの安直な考えが後で店名を変更せざるを得なくなるとは考えていませんでした。



2店舗目の山陽小野田市の有帆にあったこのお店は9年弱しか営業しておらず、
当時はカーオーディオは乱売のブームの状態だったので仕事は常にあって、
作業場が狭くなって来てたために引っ越す必要が出て来ました。



現在もこの建物は当社の所有で、倉庫として使っていますが、
運営している会社名はまだ株式会社オーディオボックスなので、その名前も記されています。



この頃のカーオーディオの事を乱売とあえて書いたのは、業界自体は賑わっていたものの、
とにかくデカい音を出したいとか、何でもかんでも車に多く物を付けていればいいと、
質より量的な売り方が横行して、これが後に業界の衰退を招く一歩手前的な状態になっていました。



もちろん当社は量より質を重視していましたが、音圧系の製品がアメリカから多く輸入されて、
それを扱う中間卸の業者も多く、自分の様な店にも売り込みに来ていました。



自分があまりに音圧系の商品に興味を示さないので卸売業者が怒って、
「音圧系の商品を扱わないあなたはバカだ!そんなやり方だとそのうち潰れる!」と言っていたのが、
2000年を越えて音圧ブームが去ってしまったら、その業者の方が潰れていました。



なぜそんな音圧ブームになったかというと、これは中東とアメリカの戦争が関係していて、
当時は何かあったらアメリカがミサイルを撃ち込んで争い事が起こって、
そのためにアメリカの軍事産業はバッテリーのボルトアップをするDC・DCコンバーターという装置を
大量に作ってミサイルの誘導装置に入れる予定が、意外と争い事が短期間に終わって、
それでDC・DCコンバーターの基盤が余ってしまい、それの何か使い道は無いか?と考えたところ、
カーオーディオのアンプに使えるという事が分かり、
全くオーディオの実績の無い会社がにわかカーオーディオブランドを作って、
時流も日本とアメリカの貿易不均衡も言われていた頃なので、時流に乗った業者が売りまくって、
それでブームが終わって潰れたという流れでした。



カーオーディオ業界は音圧系だけでなく、評論家の先生の言っている事は正しいという、
ハイエンド系のショップもありましたが、自分は20代に放送局に出入りしていた事もあり、
どうしても評論家の先生の言っている良い音が良い音に聴こえませんでした。



この頃にあるメーカーが若手の技術者をレコ―ディングスタジオに行かして音を聴かせて、
それを基準にして設計して作った試作品の試聴会を東京で行い、
全国から有名専門店30店を集めて視聴会というのがあって、
アンプに布をかけて分からない様にして鳴らして、
1番がスタジオの音が基準、2番がプレッジョンパワーで、3番がマッキントッシュで、
音圧系のお店は2番、評論家を信じているお店が3番で、何と1番を選んだのが自分だけと、
「この業界は怖い!」と思った出来事がありました。



スタジオの音を基準にしてもお店はそれが良いとは分からず、クセの付いていない物は逆に物足りないという、
「だからナカミチの商品は売れないんだ!」と納得した視聴会で、その試作品はほぼナカミチ的な音造りで、
「こういう商品は良くない!」という見本みたいな音造りでした。



そんなメチャクチャな時代も終わりかけていた頃、
日本のメーカーもカーオーディオ専門店向けよりも量販店で簡単に売れる商品に力を入れ始めて、
特にトレードインスピーカーに音に強いクセが付いて来て、パワーアンプにも強いクセが付いて来て、
売りたい商品がどんどん減って来て、これからどうなるんだろう?という心配が出て来て、
売りたい商品が無いのなら自社で開発するという意気込みで、
山陽小野田市の店舗から現在の宇部市妻崎開作の店舗を建てる事にしました。



1999年に今の店舗を建てて、もう24年になろうというのに、
かなりのコストをかけて建設した事もあって、まだ老朽化を感じておらず、
考えてみたらこの店舗の前が2店舗で17年しか営業しておらず、
この地になった方が長いという感じがしないのが、
1999年以前があまりにカーオーディオという業種が戦国時代で乱売だったので長く感じているのでしょう。



今の宇部店がオープンした時は大手量販店2社が
「オーディオボックスが大きな店を出した。」という事でカーオーディオの更なる安売りを始めて、
一般メーカー品を売っても儲からないし、仮に売れたとしても保証期間内に故障して付け外しをしたら
完全に人件費の方が上回ると、どうしようもない状態になっていました。



もうそれに音もメチャメチャだから販売する気にもなれない商品ばかりだったのもありますが・・



そんな頃にたまたま自動車メーカーが音圧系以外の音質重視のお店で
日本でどこが一番音が良いかという調査をしたところ、
複数の自動車雑誌の編集部が山口県のオーディオボックスが一番音が良いのではないかという話になって、
複数のメーカーや県外のディーラーが視察に来るという事がしばしばありました。



そうこうしているうちにディーラーの特別仕様車や、
メーカーのオーディオのカスタマイズ車などの規格をする事になって、
メーカーが今後プレミアムサウンド車の比率を上げて行きたいなどの話も知る事が出来ました。



ただそんな運の良い事は長くは続かず、
当時は主力商品だったBOSE社の1060Ⅱや1070が製造中止となり、
今後は小売店にはBOSEのカー用ユニットは降ろさず、自動車メーカーにのみ納入と方針が変わって来て、
最大数が売れるユニットを失うという事になりました。



当時はカー用品の大手2社が車検・整備に乗り出して、
それにより自動車メーカーの販売網のディーラーの売り上げが下がり、
それに対してカー用品、特にカーオーディオの売り上げをディーラー側に持って行って、
下がった車検・整備の売り上げを補うという時代だったので、
自分としては手の内を明かして自分の首を絞める状態で、「メーカーからお声がかかった!」と浮かれている
状態から、一気に地獄に落とされた様な気持ちでした。



BOSEのユニットを失う部分をどこで補うかを考えたところ、
もうメーカーに頼るのではなくて、
多くのメーカーのOEM生産を行っている会社と交渉して、
自社のスピーカーユニットを作るという大転換の時期に入りました。



ところがそんな自社ユニットを作るのに大きな壁が出て来ました!



それはオーディオボックスという名前のカー用のスピーカーが作れないという事が分かったからです。



最初にでたアメリカの『AUDIO VOX』という会社が、
日本でカー用のスピーカーの商標権を取っていて、
VがBに変わる『AUDIO BOX』は類似しているという事で商標権が認められず、
その名前で製造する事が出来なかったからです。



これは困りました。



ユニット自体はもう試作が進んでいるのに名前が入れられず、
そこで仕方なく違うブランド名で商標権を取って、
店舗の名前もそれに変えるという事で2000年に特許庁に国内外のメーカーが使用していなかった
『サウンドピュアディオ』という名前を商標登録して、
会社は販売を行う『株式会社オーディオボックス』と、
開発製造を行う『有限会社ピュアディオ』の2社に分けました。



そのため販売を行う会社名はオーディオボックスのままで、
オーディオボックスはピュアディオという会社から製品を買うのと、
サウンドピュアディオの称号が使えるという権利を得るという、2社体制が出来上がりました。



宇部店の看板がオーディオボックスからサウンドピュアディオに変わったのは2001年の3月で、
サウンドピュアディオのケーブルが先に出来て、6月にサウンドピュアディオのスピーカーが完成して、
ピュアディオチューンのアンプやチャンネルディバイダーも出来て、
デッキ以外の部分はピュアディオのオリジナルかチューンドモデルでラインナップが揃うという時代が
やって来ました。



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