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取付ブログ

今のサウンドピュアディオが出来るまでの40年史+12 第17話 2006年から10年

2023-03-31
今のサウンドピュアディオが出来るまでのシリーズも17回目となり、
遂に2006年の大改革の年の話になりました。



2006年の3月末の今の時期のお話ですが、
2004年の上妻宏光さんのコンサートを聴きに行った時にアンケートに答えたからか、
1枚のハガキが送られて来て、そこには佐賀市文化会館でコンサートがあると書いてありました。



このハガキは運命のハガキで、
2004年のZeppのコンサートで当時のデモカーのレンジローバーの音との差に
モヤモヤとしていながらも何の手立ても無く、
でもお客様に電源キャパシタのデモンストレーションを行えばスイスイと売れるという良い時代でしたが、
心の中で「本当にこれでいいのか?」という疑問もありました。



そのハガキを見て発売日に佐賀市の文化会館に朝一で行って、最前列のチケットを2枚買って、
コンサートの当日は福岡店で一番システムの大きかったお客様と一緒に行って、最前列で生音を楽しみました。



Zeppではマイク・アンプ・スピーカーを使ったPA通しの音だったのですが、
佐賀では遠くのお客さん用に若干のPAが効いているものの、最前列は生音で聴けて、
「これが上妻宏光の演奏なのか!」と、お客様共々感動して帰りました。



ただ当時は電源キャパシタにヘッドキャパシタにスピーカーもRCAもケーブルの末端は
高価なロジウムメッキを使って、これが最高の音!と思っていたのが生音とは違った造作した音で、
それでもナカミチのシステムを使っているからとんでもなく造作している訳ではないけれど、
その後一緒に行かれたお客様は2度とシステムアップする事も移設する事もなく、
サウンドピュアディオから離れて行かれました。



もちろん他の店に移った訳でもなく、カーオーディオというものと生生演奏に差があり過ぎて、
数千円でコンサート会場で音楽を楽しんだ方がよっぽど割安と思われたのでしょう。



これは自分にとってとてもショックで、
その少し前に当社のデモカーをナカミチの小林さんが聴かれた時に、
「これは電源キャパシタが入っていますね?」と聞かれた事があって、
その時に悲しそうな顔をしておられたのを思い出しました。



自分はノリの良い音で若者にウケているから何が悪いんだと思っていましたが、
一度派手な方に走ってしまうと真っ当な音には戻れないという予見が出来ず、
上妻宏光さんの生演奏を聴いた時に以前のナカミチの本社ホールの年に1度の生演奏を思い出して、
それが無くなってから自分は知らないうちに派手な方向に走っていたと後で気が付きました。



ここまで読んで「派手になるのなら別にそれが好きな人が多いなら、そのままでも良いのでは?」と
思われた方もあると思いますが、今考えたら全ての音域が派手に聴こえるのではなくて、弱く聴こえたり、
音色が暗い部分はそこがより目立たなくなって、本来の音楽とは違うノリの良い音と勘違いしていました。



それでも業界全体からするとピュアディオはまだ派手ではない方向で「これはいけない!」と、
上妻宏光さんの演奏を10会場廻ってそれで結論を出そうと、
ファンクラブに入って先行予約でチケットを入手して、実際には9カ月で10会場を廻る事が出来ました。



もうこの頃は毎回握手会に並んでいたので、
上妻宏光さんにも顔を覚えてもらうぐらいのファンになっていて、ある日握手会の列の最後に並んで、
「上妻さん、お願いがあります!」とデモカーを聴いてもらう様にお願いして、
「少し待って下さい。」と上妻さんは一度裏に引っ込まれて、事務所の社長さんに相談されて、
「いいですよ。」という事になってレンジローバーを聴いてもらう事になりました。



運転席に上妻さんで、助手席に自分が座ってイコライザーのリモコンを握りしめて、
「どこか強いとか弱い音域があったら言って下さい。上げ下げしますから。」と言って試聴して頂きました。



そして上妻さんから言われた一言は「似ている部分もありますが、似ていない所もあって、
それはイコライザーの上げる下げるの問題ではないと思います。」と言われました。



自分の中では頭の中にひっかかっていた部分を演奏者の方に言ってもらうとスッキリして、
次の日からキャパシタとロジウムメッキから足を洗うというデモカーを製作しました。



その時点ではファンクラブの会員ではあるけれど仕事上のお付き合いは無くて、
その後ラジオ番組のスポンサーとして付いて、
これがサウンドピュアディオのFM番組のスポンサーの第一弾となり、
翌2007年の1月には山陽小野田市の文化会館で上妻宏光さんとピアノの野崎洋一さんを迎えた
お客様とその家族の方限定のコンサートを開いて、生演奏の良さを知って頂いて、
それに合わせたシステム構築という方向に大きく舵を切る事にしました。



とはいえ、元々ナカミチの本社ホールの生演奏の音を基準に始まったものが、
いつの間にかナカミチの方針が変わって、とにかく売った者勝ちみたいな競争主義に営業部の暴走でなって、
結果的にこの頃はナカミチの上場廃止の時期と重なって、もうメーカーの力には頼らずに、
自らの力で道を切り開かないといけない時代になっていました。



この頃は上妻宏光さんのコラボを前面に出したために、
他店から「あそこは三味線しかきちんと聴こえないみたいだね。」と言われ始めて、
それならとアーティストのお付き合いの幅を増やして来て、
上妻さんつながりでギターの押尾コータローさんとサックスの矢野沙織さんと親しくなって、
押尾さんと矢野さんと仲が良かったDEENの池森秀一さんとも仲良くさせて頂ける様になりました。



特にDEENの池森さんはご自分のお車を宇部店まで陸送して取り付けして頂いて、
東京に納車されてからは自動車雑誌3誌の取材を受けたという事もありました。



その取付の前には東京のスタジオに招待して頂いて、「この音で仕上げて欲しい。」という要望があって、
そこに合わせるために宇部店と福岡店のモニタースピーカーに付いていた高級ホームオーディオ店で買った
クセの強いアクセサリーは全て撤去したという逸話もありました。



更に上妻宏光さんからは尺八の藤原道山さんを紹介されてお付き合いが始まって、
藤原さんからピアノの国府弘子さんを紹介いただいて、お付き合いが始まりました。



国府弘子さんは1990年代の中頃にCDを3枚を使って音調整をしていたというぐらいのファンで、
こういう方はCDのジャケットの写真で見るだけの方と思っていたのが、普通にお話出来る仲になるという、
人間どこでどうつながるか分からないな?と、FMラジオの番組制作を通じて、
音楽業界の方とのお付き合いがどんどん広がって来ました。



それと同時にベーシックコースと呼んでいた2001年に発売した低価格版のシステムを、
ベーシックパッケージと名前を変えてマイナーチェンジを行って、
毎年新車を2・3台買ってパッケージの開発を行って、
イベント会場に並べて来場者に聴いてもらうという手法で販売促進を行いました。



するとこれまで不人気だったベーシックコースは
多くのコイルから店のスタッフが自分の感覚で数値を選ぶが、あらかじめ車両を買って開発を行って、
それに近い車種のデーターを取ってバリエーションを増やすのと、
10年20年とお付き合いのあるお客様には開発に長めに納期を頂くという事で、
一気に人気商品へとチェンジして行きました。



もうこの時点では他のカーオーディオ専門店との競争など頭の中にはなく、
良い音はメーカーから与えられた情報で出すのではなく、
こちらから取りに行かないと手に入れられない事を知り、
CDのジャケットでしかお目にかかれないと思っていたのは自分の思い込みで、
やる気があればどうにかなるものだという事を実感していた時代でした。



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